●有料     ●交通:JR奈良駅下車徒歩15分・近鉄奈良駅下車徒歩10分

元興寺は、蘇我馬子がつくった日本最古の本格的寺院の飛鳥寺を、平城京遷都のときに移したお寺。当時はいまのならまちのほとんどが境内であったほどの大寺院で、南都七大寺の1つでした。

しかし平安時代の中ごろからしだいに衰退。浄土教が広がるにつれて、浄土曼荼羅(重要文化財智光曼荼羅)を安置していた極楽坊が信仰を集めました。極楽坊の建物は、鎌倉時代にいまの極楽堂と禅室に建てかえられ、そこで営まれていた念仏講がさらに発展し庶民の信仰の場となりました。宝徳3年(1451年・室町時代中期)土一揆で金堂と小塔院を焼失、江戸時代末期には五重塔なども焼け、いまの極楽堂と禅室だけになりました。屋根の一部に飛鳥寺から移したとされる行基葺きの瓦が、奈良時代につくられた国宝五重小塔は、奈良時代の建築様式を学べる貴重な資料です。

極楽坊のすぐ南、町に埋もれてひっそりある塔跡。「元興寺塔跡」として国の史跡に指定されています。

ならまちの家はうなぎの寝床

ならまちの家は、間口が狭く奥へ奥へのびた家を多く見ます。これは「うなぎの寝床」とよばれ、町家独特の細長い家です。

蘇我馬子(そがのうまこ)

?〜推古34年(〜626年)古代の中央豪族。仏教を利用し、天皇と関係を深め、物部氏を滅ぼして、国政の主導権をにぎった。